2017年05月分(四篇)

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2017年5月28日(第4主日礼拝)
『 主の祈り5 』(第四の祈願)
ウエストミンスター小教理問答書から


第104問 主の祈り、第四の祈願
問: 第四の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。
答: (「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」という)第四の祈願で私たちが祈る事は、神の一方的な賜物のうちから、わたしたちがこの世の良き物の正当な分を受け、それによって神の祝福を楽しむことができるように、ということです。

「我らの」ことについての祈願
 主の祈りは、第三の祈願までが神さまの(あなたの)御名、御国、御心に思いを集めて祈るのに対し、第四の祈願からは「我らの(私たちの)」必要に思いを集めての祈りです。その最初に「我らの日用の糧」について祈ります。
必要と喜びのために
 日ごとの食物には、 1.命の支え、 2.楽しみと喜び、 という二つの面があります。第三の祈願はこの両面についての祈願です。
 「日用の糧」で代表されているのは、「この世の良き物」すべてです。食物に限らず、衣食住・趣味・受験・就職・結婚等々、この世的必要と祝福とを私たちは願ってよいのです。
 霊的な事だけを神さまに頼り、物質的な事については自分の才覚に頼るのは誤りです。一切を神さまに頼る者として、「この世の良き物」について神さまに祈り求めるべきです。
 また、「この世の良き物」を軽んじるのも誤りです。それは、創造者なる神さまからの贈り物として感謝して受けるべきものなのです
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 ただし、「この世の良き物」は、人を誘惑し、神さまから私たちを離す恐れもあります。私たちは「神と富に仕える事は出来ない」のです。この世の良き物の限界を弁えるべきです。その点で小教理問答は、次の点に注意を向けています。
(1)神さまの一方的賜物として願うこと:
 人はこの世的祝福を願う時、神さまに権利要求を突きつけるのではありません。罪人である私たちの必要を満たしてくださるだけでなく喜びさえ与えて下さる神さまの一方的な恵みに感謝しつつ願うのです。
(2)正当な分を求める事:
 不正な算段で欲望を満たすことを願わず、できる努力をしながら自分の力に頼らず、神さまの祝福として受けることができるように祈り求めます。

 「日ごと」とは何か、をまず理解する必要があるでしょう。イエス・キリストのおことばには旧約聖書のおことばが珠玉のようにちりばめられています。聴衆も同時にそれとして理解したでしょう。多分箴言30章8節を念頭において話をされているのでしょう。貧しさも富むことも行き過ぎると私たちには良くない、と言っています。与えられた分で満足しなさい、の意味です。これがそのまま「日ごと」の真の意味であると理解していいでしょう。また聴衆は荒野で神さまがくださった食料マナ(出エジプト記16:4~20)を連想しながら聞いたでしょう。2日分を集めても腐ってしまいました。両方の意味を重ね合わせれば、今日を、そして今を大切に生きること、といったらいいでしょうか。
 「不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。」(箴言30:8)

2017年5月21日(第3主日礼拝)
『わたしに何をしてほしいのか』
マルコによる福音書10章46~52節


 いよいよエルサレムへの歩みが始まろうとしています。場所はエリコ、ここに一人の目の見えない物乞いがいました。彼はイエスさまがこのエリコにおいでになられると聞き、大声で叫びます。「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」人々は彼をしかりつけ黙らせようとします。しかし彼はますます激しく「私をあわれんでください」と叫び続けました。彼は、イエスさまなら自分の目を開いてくれるかもしれない、そう期待していた。そして、その方が今、自分の目の前に来ている。目が見えないのですから、どこにいるのかは分かりません。しかし今、自分の目の前を通り過ぎようとしているこの人々の群れのどこかにおられる。それは分かる。だから、その見えないイエスさまに向かって、何としても届くようにと、彼はあらん限りの声を張り上げて叫び続けたのです。この時をやり過ごしてしまえば、もう二度とイエスさまにお会いすることは出来ないからです。彼は必死でした。だから、どんなに叱られようと、どんなに黙れと言われようと、黙ることなど出来なかったのです。
 この人の叫びはイエスさまに届きました。そして、イエスさまは「あの人を呼んで来なさい。」と言われました。イエスさまはこの人を、自分の前に来るように呼び出したのです。イエスさまの召し出しです。イエスさまの言葉を伝えた人は、この目の見えない物ごいにこう告げました。「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」
 「心配しないでよい(安心しなさい)。」これは、もう大丈夫、元気を出せ、喜べ、ということです。イエスさまがお呼びくださったからです。イエスさまが叫びを聞いてくださり、呼び出してくださった。だから、もう大丈夫なのです。イエスさまが事を起こしてくださるからです。
 この人のイエスさまにあわれみを求める叫び声は、イエスさまの耳に届きました。私たちのあわれみを求める叫びが、神さまに、イエスさまに届かないなどということなど、あるはずがないのです。私たちはどうでしょうか。あまりにも上品で、物ごいのように必死に叫ぶなどということはしないでしょう。彼がなにゆえそんなにイエスさまを求めたのか。それは自分の抱えている問題が何でいるかを知っていたからです。
 「盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た」と聖書は告げます。新共同訳聖書では「上着を脱ぎ捨て、躍り上がって」と訳しています。この方がこのときの様子が手に取るようにわかります。
 イエスさまはご自分の前に来たこの人に向かって、「わたしに何をしてほしいのか。」と尋ねます。見方によっては、実に間の抜けた問いです。そんなことは聞かなくても分かりそうなものです。この人は目が見えないのですから、見えるようになりたい。そんなことは、私たちでも分かりそうなものです。しかし、イエスさまはお尋ねになりました。どうしてでしょうか。イエスさまともあろうお方が、この人が求めていることが何であるのか分からなかったのでしょうか。そんなことがあるはずがありません。だったら、どうしてこのように問われたのでしょうか。それは、この人が本当に一番求めていることが何なのか、そのことをはっきりさせるためではなかったかと思うのです。イエスさまは、私たちがしばしば犯す過ちを、よくご存知なのです。私たちは神さまに、自分にとって本当に大切なこと、本当に必要なこと、無くてはならないことをいつも求めているとは限らないからです。私たちの本当に必要なことを、私たちが求めるようにイエスさまは促します。あなたにとって今何が一番必要でしょうか。そのことを知ったら、大胆に求めましょう。イエスさまは必ず応えてくださるのです。

2017年5月14日(第2主日礼拝)
『母の日とは?』(ウィキペディアから抜粋、編集)


 日本では毎年5月の第2日曜日を「母の日」として、日頃のお母さんの愛に感謝する日として行われていますが、そもそもこの「母の日」とはいつ頃、どこで始まったのでしょうか。
 古くはマザリングサンデイ (Mothering Sunday)として、英国およびアイルランドで、キリスト教暦のレント(四旬節)期間の第4日曜日(復活祭の3週間前)に祝われていました。もともとヨーロッパ大陸での母教会(洗礼を受けた教会)に感謝する行事を起源としていて、1600年ころに英国で家族で母に感謝する日として定着したと言われています。これがやがて新大陸アメリカに渡ります。
 アメリカでは南北戦争終結直後の1870年、女性参政権運動家ジュリア・ウォード・ハウが、夫や子どもを戦場に送るのを今後絶対に拒否しようと立ち上がり「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発しました。ハウの「母の日」は、南北戦争中にウェストバージニア州で、「母の仕事の日」(Mother's Work Days)と称して、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために地域の女性を結束させたアン・ジャービス(Ann Jarvis)の活動にヒントを得たものでした。
アン・ジャービスはハウの「母の日宣言」を受け継いで平和活動運動を行った人です。当時、医療が行き届いていなかったウエストヴァージニア州に住んでいたアンは、11人兄妹で育ちましたが4人しか成人出来なかったそうです。成人したアンさんは、そんな地域の医療環境を改善しようと「Mothers Day Work Club」というボランティア団体を立ち上げ南北戦争時代に南軍も北軍も関係なく、兵士たちを助けました。南北戦争後もその活動は続けられ、アメリカで大きく報道されました。
 ジャービスの死後2年経った1907年5月12日、その娘のアンナ(Anna Jarvis)は、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを飾りました。これがアメリカでの母の日の起源とされています。
 アンナの母への想いに感動した人々は、母をおぼえる日の大切さを認識し、1908年5月10日に同教会に470人の生徒と母親たちが集まり最初の「母の日」を祝った。アンナは参加者全員に、母親が好きであった白いカーネーションを手渡した。このことから、白いカーネーションが母の日のシンボルとなった。アンナ・ジャービスは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案し、1914年に「母の日」はアメリカの記念日になり、5月の第2日曜日と定められました。
 日本における「母の日」は大正時代にさかのぼります。
 1913年に青山学院で、母の日礼拝が行われた記録があります。アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院の教授であったに女性宣教師アレクサンダー女史たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったといわれています。はじめは、キリスト教会や日曜学校のごく一部で母の日のお祝いの行事がささやかに行われていました。
 それを日本全国に広めたのは、あの有名なお菓子メーカー、森永製菓です。森永製菓の創業者、森永太一郎氏が敬虔なクリスチャンということもあって母の日のを日本でも広げようと始めました。
 1937年(昭和12年)に森永製菓は「第1回 森永・母の日大会」というイベントを開催し、豊島園の野外ステージで開催して「お母さん」20万人を招待し、日本に「母の日」が広まるきっかけをつくりました。これが新聞に取り上げられたことで一気に全国に広がりました。ちなみにハッピーコミュニケーションビスケット「フォーユー」を2016年4月19日に発売し、この販売普及に大きく貢献します。このビスケットは今でも期間限定(5月末)で販売されている静かな人気商品だそうです。その後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになりました。
新聞に取り上げられたことで一気に全国に広がりました。
 母の日に贈るものと言えば「赤いカーネーション」が定番ですが、なぜ、赤いカーネーションなのか知っていますか?
 アメリカでアンナ・ジャービスが、今の母の日の原型の行事を行った時は、白いカーネーションを参加者に配ったそうです。これは、お母さんのアン・ジャービスさんが、生前カーネーションが好きだったためと言われています。
 その後、母の日が記念日として定着していった頃には、お母さんが亡くなった人は白いカーネーション、お母さんが存命な人は赤いカーネーションというようにアンナの提案で変わっていきました。
 日本で母の日が始まった頃は、アメリカに習って赤と白のカーネーションで、区別していたそうですが、色で区別することが、母親のいない子どもや、義母に育てられている子どもの気持を傷つける事もあるということで、母の日は赤いカーネーションに統一されたということです。優しい配慮ですね。

2017年5月7日(第1主日礼拝)
『 人 の 子 が 来 た の は 』
マルコによる福音書10章41~45節

イエスさまは「仕える」ということを説かれましたが、私たちはむしろ仕えられることを求めています。それは私たちの本質的な欲求です。仕えること、それを奉仕ということばで言い換えてもよいのですが、私たちが、奉仕することで得られる精神的利益と満足をあらかじめ計算し、期待しているところはないでしょうか。奉仕とは、自己を目的としないことですが、自己が目的になり、他の人を手段化するのであれば、もはや奉仕とはいえないのです。
 ここで、「仕える」と教えられるとき、私たちはこれを本当の意味での奉仕として受け取らなければなりません。自己満足の手段としての、まがいものの奉仕ではないのです。それは困難を伴うものです。力を入れても、成果は上がらず、生きがいも感じられなくなり、奉仕によって自分が消耗されるのではないか、との恐怖感が私たちを圧倒します。人はそのような奉仕ならば止めてしまうでしょう。しかし、イエスさまが「仕えよ」と言われたのは、そのような自分自身の損耗と破滅にほかならないようなつとめをさしたのです。イエスさま自身、人々を愛し、人々に仕え、ついにご自身を減り減らしてしまわれたのです。
 「人の子が来た」目的は、「仕えられるためではなくかえって仕えるためである」と宣言しておられます。主イエス・キリストは、異邦人の主権者が人民の上に君臨するような方法では来たまいませんでした。イエスさまはむしろ、徹底的に仕えることによって、ご自身の主権をあかししたまいます。そのへりくだりの中に、主権的な栄光を見るのが、信仰者の洞察です。そして、イエスさまと同じように、しもべとなることによって司たるのつとめを果たすというのが、新約聖書のイスラエルたる教会の原理であり、クリスチャンの知恵です。教会においては、仕えることこそ権威なのです。
 さらにイエスさまは、先に「仕える」と言ったことのもっと深い意味を明らかにされます。「贖い」として、いのちを与える、と。「贖い」ということばは、旧約聖書でもしきりに使われました。身代金、代価、という意味もありますが、ここではいうまでもなく、罪の償いのための代価をさしています。イエスさまは、今、非常にはっきりと、ご自身の死が、罪人のための代理の償いであると宣言されます。これは決定的な定義になります。--私たちはイエスさまの死の意義の解釈に迷うかもしれません。イエスさまの死は失敗だったが、その精神は受け継がれた、と主張する人もいます。イエスさまの死はすべての人々に感動と感化を与える、と考える人もいます。しかし、イエスさま自ら、これは「贖い」であり、旧約の人々が待ちのぞんだものであると言われます。罪を犯したがゆえに、罪の報いをみずから負わなければならない人々に代って、イエスさまが神さまの呪いを引き受け、これによって神さまの義を満足させるとともに、罪人を義とされたのです。私たちの罪の代価は支払われ、旧約の律法のもとでは象徴として示されていた贖いが、成就したのです。
 イエスさまの弟子である私たちは、互いに仕えるというあり方以外の生き方を知らないのです。それは、イエスさまがまずご自身を十字架に架けて、私たちに命を献げるというあり方で仕えてくださったからです。このイエスさまに私たちは従っていくのです。私たちはすでにイエスさまの救いに与り、神の国に生きる者とされています。神の国の秩序に生きる者とされているのです。私たちは今、イエスさまの十字架の救いに与り、イエスさまと共に生きています。そして肉体の死を超えて、永遠にイエスさまと共にあることになる。ここに私たちの喜び、私たちの希望があるのです。