2015年2月分(四篇)

目次に戻る

2015年2月22日(第4主日礼拝)

ゼカリヤ書(3) 2章1~13節

『 主 の 前 で 静 ま れ 』


ここに登場してくる「ひとりの人」はゼカリヤの問いかけに答えて「エルサレムを測りに行く」と言う。これは幻であると同時に現実の延長でもあった。エルサレムは今復興の槌音も高く、新しい町造りのための測量が至る所で行なわれていたのである。人々は長い間の無気力から目覚めて、主の栄光を現わすために働こうとの意気に燃えて、もう一度栄光ある神の都エルサレムを再建するために奮い立っていたところであった。都市再建計画のための青写真の中心は、先にハガイによって示された「神殿」、その次の問題は「城壁」であった。当時の民にとっては現実の緊急課題でもあった。問題はその「城壁の規模」である。
 石垣は外敵に対しては「防壁」であるが、一方都自身にとってはいわば「殻」のようになる。それは都の成長と繁栄におのずから制限をつけるものとなるのだ。その規模はいかほどか? いろいろな意見が指導者たちの間に交わされていたであろう。
 この現実問題に対する神の答えが、すなわちこの幻であった。神が祝福したもうときにエルサレムは測り縄で測れるようなものではない。繁栄して、拡張して平原のごとくに広大な都となるであろう(4節)。けちな石垣など考えるな。だが無防備な丸裸な都市でよいだろうか。いや心配するなかれ、主がその周囲にあって火の城壁となってくださるのだ。野宿する旅人はその回りに火をおこして、火の垣を作り、猛獣が近寄れないようにする。そのように神ご自身がエルサレムのために防壁となってくださるとは、なんという心強さであろうか。
 石垣建築を不信仰のわざというのではない。しかし、石で作った垣にはるかにまさるのは神のご臨在である。「神はその中にいまし。その都はゆるがない」(詩篇46:5)。どんなに堅固な城壁であっても、神が守りたまわないならば紙の壁に等しいのである。事実エルサレムの石垣は先にはバビロン軍によって、また後年にはロ-マ軍によって攻撃されたときに、都を守ることができなかった。私たちも知らず知らずのうちに、神のご臨在よりも何か自分の石垣に寄り頼んではいないだろうか。財産、健康、知恵、社会的地位、神の子である私たちを守るのはこのような石垣ではない。
 神は2つの大いなる約束をお与えになられた。①「火の城壁」による保護、②「ただ中に住む」と言われる恵みの約束である。そして第二の約束は第一のものにまさって、より偉大な約束である。
 一度は見捨てられたようなこの都を、神は大いなる真実をもって再びお選びになられた。エルサレムの回復は、イスラエルの民にとっての喜びである以上に、神の喜びであった。神が特別に深い愛をもってエルサレムを再度選び、捨てようとしても捨てられないほどに、あわれみを注いでおられるのはエルサレムが今日の私たち、教会の象徴であるからだ。
 私たちは「不信仰」の測り縄を手にして、いつの間にか万事こじんまりとした城壁を教会や日々の生活の回りにはりめぐらしてしまうのである。
 『見よ。わたしは来て、あなたのただ中に住む』。私たちのうちにイエスさまが住んで、すべてを支配して下さるとき、いっさいの問題は解決するのである。もはや測り綱は必要なくなるのだ。
 「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」イザヤ30:15

2015年2月15日(第3主日礼拝)

ゼカリヤ書(2) 1章7~21節

『ミルトスの木の間に立っておられる主』


 ゼカリヤの見た8つの幻は捕囚よりの帰還、神殿再建工事、そしてエルサレム復興という困難な事業と取り組んだイスラエルの民に、希望を与えるために示されたものである。
 ミルトスの木、捕囚から解き放たれたイスラエルの民の象徴とも言える。絶えず圧迫されていた民は、もはや誇らしげに枝を張り広げる香柏にたぐうべくもない。むしろミルトスの木の謙虚な美しさこそふさわしいものであった。もはやその心はおごることなく、その目は高ぶらず、幼子がその母に対するごとくに、主に頼り、主だけを希望とする。昔のような強大な軍隊もなく、誇示すべき国威もなく、今ようやく許されて故国に帰ることを得た虜囚の民であった。彼らは谷間にひっそりと生きるミルトスの木の中に主が立っておられたのである。あのパトモスの島でヨハネが見た主はアジアの諸教会を象徴する7つの金の燭台の間におれらた。いつの時代でも、イエスはその愛する民の真ん中に立っておられるのでる。この時代にイスラエルの民が必要だったのは、この信仰と確信であった。
 幾度となく神殿再建の事業は中断され、民のうちに失望、疑惑が生まれた。ゼカリヤに与えられた幻はこれに対する答えであった。
 御使いの報告「私たちは地を行き巡りましたが、まさに全地は安らかで、穏やかでした」は、現状の継続で、なにひとつ変化のない状態。しかし御使いの真ん中に立っておられる方は、天に向かって呼びかける。「万軍の主よ。いつまで、あなたはエルサレムとユダの町々に、あわれみを施されないのですか。あなたがのろって、70年になります」(12)。
 ここには、私たちの主の永遠の大祭司としての職務が明らかにされている。私たちの不完全な祈りは、このようにイエスに取り上げられ、イエスご自身の祈りとして、御父の前に披瀝されるのである。
 神が与えたもうメッセ-ジは暗い時代に真の慰めと希望を与えた。14~17節は、神殿再建とエルサレム復興の原動力となり、神のみことばが信仰をもって受け止められたとき、やがて現実となって臨んだのである。
 私たちもまた、悲しみと苦しみに圧迫され、あなたの魂がうなだれているならば、あなたの祈りの至聖所に入って祈り抜こうではないか。あなたのために執り成してくださるイエスのみ姿を見させていただき、神からの希望を握って立ち上がることができるのだから。
 続く第2の幻もまた慰めに満ちたものであった。
 捕囚から帰った民を取り巻くものは好意的はなかった。彼らは絶えず脅かされ、しかもこれに立ち向かう力さえも持っていなかった。15年間、神殿の土台は雨ざらしになり、今再開された工事も、いつどこから新しい妨害が加わるかわからない状況。その中で見せられた幻、それが「4つの角」であった。
 イスラエルのような牧羊民族にとって、角は羊を脅かす野獣の象徴である。圧迫者の力と高慢の象徴であった。4は羅針盤の方位、どちらを向いても敵に囲まれていたイスラエルは、四面楚歌の中に置かれていたのである。しかし、恐れることはない。角を打ち滅ぼすお方が控えているのである。
 スポルジョンは言う。「鍵を開くのに剃刀の刃を用いるべきではありません。角を断ち切るのに事務員や設計家ではなく、鍛治が用いられました。角があまりにも選民を悩ますようになるならば、これを打ち砕くために鍛治が呼び寄せられるから心配はいりません」。神我らとともにいませば恐るるものは何一つないのだ。
 神が戦われるのだから、私たちはただ静まって神にすべてをゆだねるがよい。

2015年2月8日 (第二主日礼拝)

ゼカリヤ書(1) 1章1~6節
                
『わたしに帰れ…そうすればわたしもあなたがたに帰る』


 ゼカリヤは『希望の預言者』である。その時代の人々に力強い励ましと慰めを与えた預言者であったと同時に、さらにあらゆる時代を越えて人類最大の希望であるところのメシヤ(救い主)の訪れを喜びをもって伝えた預言者である。彼はハガイとともにことばの預言者であった。旧約時代の終わりに近いころ、神の民イスラエルは深い暗黒の中に沈んでいた。しかし、東の空にひときわ明るく輝く一個の星が暁の間近いことを告げるように、ゼカリヤはイスラエルの人々の上に、ひときわ明るく輝く希望を指し示し、メシヤに対する期待と準備をイスラエルの民の中に起こした。
 その名前の意味は「主(ヤ-ウェ)のおぼえたもう者」。捕囚の中にあったイスラエルの民にとって、神が彼らを決して忘れたまわない、という一事こそ、最大の希望であった。
 クロス王の時代に奇跡的な解放令により第一次帰国隊が故国エルサレムに到着したのは、ゼカリヤの預言開始からさかのぼること20年前になる。わずか42360人の人々だけが途中の荒野の危険と新しい居住地の窮乏にもかかわらず、ひるまずに父祖の地に向かったのである。
 荒廃した都エルサレムに帰った人々は、まず久しく行なえなかった祭壇を築き、犠牲をささげて礼拝を守った(エズラ3:3)。次いで神殿再建の工事にとりかかった。大いなる喜びの声の中に定礎式が行なわれた。イスラエルの上に輝かしい黎明が訪れたと見えた。だがそれもほんのつかの間で、彼らの敵たちはぺルシャ王アルタシャスタをそそのかして、この工事に中止命令を出させ、かくしてせっかく据えられた神殿の基礎は空しく放置され、雨風にさらされるところとなった。そんな中、神に召し出されて立ち上がったのがゼカリヤであった。イスラエルの民の心を奮い立たせて神殿工事に再着手させるのである。
 しかし、預言者の最大の困難に直面していた。それはイスラエルの内側にあった。40年の中断された月日はイスラエルの民の心をむしばみ、「主の家を建てることは、まだその時期ではない」と彼らは言い、神の宮はすたれたままに放置され、反対に人々は板張りのぜいたくな家の新築に熱中していた。
 おびただしい灰土の中、外にはさまざまな妨害があり、内側にはあらゆる弱さを抱えて、エルサレム再建は至難のわざであったが、神はゼカリヤを通してこのイスラエルの民に希望を与え、かくして彼らは励まされてこのわざを全とうしたのである。
 この国の教会が必要としていることは何か。それはゼカリヤの時代のごとくに、神による希望であり、みことばによってビジョンを与えられ、立ち上がることではないだろうか。暁の明星である主イエス・キリスト、私たちの希望であるキリストを仰ぎ見ることである。
 ゼカリヤのメッセ-ジ、それは「わたしに帰れ」であった。背信の民が神のもとに立ち帰るために、神は無限の愛をお注ぎくださり、忍耐強く待っておられる。
 ゼカリヤ時代の人々にとって一番の問題は、神が彼らとともにおられないということであった。そもそもイスラエルのすばらしさは、神が彼らとともにおられるということである。あの荒野の40年の旅路も、神が共におられたがゆえに全とうすることができたのである。神が共にいたまわなければ、イスラエルはつまらない小国にすぎない。同じように私たちキリスト者もそうである。
 「わたしに帰れ」とは、神に対して正しい姿勢をとることである。そこから私たちの歩みは始まり、そこにこそ神の祝福は私たちに豊かに注がれるのである。

2015年2月1日 (第一主日礼拝)

あかし 『私の献身への道』 (3)


 私の献身の志をなんとかして押しとど               め、阻もうとする父の行動は次第に激しさを増していった。ついには私の教会にまで押しかけ、牧師に「息子を返せ!」とまで迫る暴挙に出た。恩師である故藤井義雄師は静かに耳を傾けてくれた。そして父を説得しようとしてくれたが、焼け石に水で席を蹴って教会をあとにした。あらゆる思いつく手段で父は私の献身を挫こうとしたのである。しかし私の思いは変わることはなかった。
 高校3年生の年もあらたまったある日のこと、いつものように父と激論となり、失意のうちに机に向かった私は長い手紙を書いた。幼いころのことに始まり、父との確執がどこから起こったのか、少年時代自分はどんな思いで父を見ていたか、そんな中で聖書に出会い、教会に行くようになったこと、イエス・キリストに出会って自分の罪の赦しを乞い、救われたと実感したこと。やがて自分の人生の目標を伝道者となる道に見いだしたこと、などなど。長い手紙であったが思いを込めて書きしたためた。そして、その手紙を父の机に置き、床に着いた。
 明くる朝、私の机に一通の手紙が置かれていた。それは父からのものだった。そこには父の思いが連綿と書き記されていた。父からの手紙をもらうなどという経験は未だかつてなかった私は一気に読んだ。読んでいる内に身体に熱いものがこみ上がるのを覚えた。次第に心も身体も震える感動に変わっていった。
 そこには父の思いが込められていた。もちろん私の献身への道には反対の意志が明確に表されていた。手紙の内容は今でも鮮明に記憶している。絶対に青木家からは耶蘇は出さない。もし自分の選んだ道に進もうという決意に変わりがないのなら、親子の縁を切り、青木の家を出て進むがよい。もちろん経済的な支援は一切期待するな、というものだった。
 私は手紙を読み終えたとき、父の思いは伝わったと、そして自分の志は理解してもらえなかったが確かに伝わった、と。思えば短いようで熾烈な闘いにも似た1年以上続いた日々に、神さまが決着をつけてくださったのだと強く感じた。同時にこれは父の表だっては賛成できないが消極的な容認だと理解した。それ以降、父は黙して一切何も言わなくなった。
 私は神学校受験に向けて自らすべての手続きをするとともに、受験勉強にも精出した。不合格になることなどは毛頭考えていなかった。高校側も私のことは半ばあきれ顔で受け止めていただろう。必要な書類も作成してくれた。神学校受験の日、私は誰にも送り出されることなく、当時国立市にあった神学校へとひとり、しかし晴れ晴れした気持ちで行ったことを思い起こされる。そしてまもなく合格通知を受け取った。
 入学に必要な費用は自分のアルバイトで蓄えていたものと、小さな頃から切手収集が趣味であった切手を売却し、辛うじて工面できた。あとのことは正直言って何も考えていなかった。あとは何とかなる、神さまが助けてくれる、そんな夢みたいなことを真面目に考えていたのも今では懐かしくさえ、思える。それほど純粋で、後先を考えない猪突猛進の船出だった。
 高校卒業式の翌日、ボストンバッグに着替えを詰め、ギター片手に家を出た。悲しそうな母の顔が印象的だったが、私には悲壮感がなかった。入学式の日まで、教会に居候を決め込むことになり、神学校の入学式には高校の制服で臨んだ。そのときの感動は今も心に残る光景である。