2014年10月分(四篇)

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2014年10月26日(第4主日)

『いのちの書に名が記されている』

ピリピ人への手紙4章2~3節

               
 ピリピの教会は、聖書の中にある教会の中でも模範的な教会であったが、問題がなかったのではない。二人の婦人の間に対立と不一致の問題が起きていたのだ。彼女たちが教会内で不一致や対立をもたらしていた原因は何だったのだろうか。それは教理上での問題ではなかった。おそらくささいなことだった。しかしこの教会における指導的な立場にあった二人の婦人のきまずい対立が、教会全体に悪影響を及ぼしていたのである。その原因は、第1に主イエスによる愛を誤解していたのである。教会は神の愛に満ちているところであり、牧師も信徒も愛の実践者であると勝手に決めてしまい、しかもその「愛」も自分本位に理解して、相手に愛を要求する。そしてそれが自分の意のままに与えられないと不満を抱き、非難、攻撃する。神の愛は一方的なものであって、キャッチボールのように、お互いの間でやりとりするという性質のものではない。私たちは神の一方的な愛によって救われただから、他の人に対してもそのような愛をもち、求めるのではなく、与える者でなければならない。
 第2に、主イエスの赦しという体験の理解が不徹底だった。赦された罪の重みを自覚していなければ、他の人を赦すことは困難である。主イエスの十字架の意義を、自分の罪との比較の中でしっかりととらえ、他の人を赦す者となりたい。
 第3に、教会というものに対する認識不足があった。教会は同好会や社交場ではない。罪赦された罪人であるものが、同じ神の国を目指し、神の国の建設のために同じくびきを負っている者の集まりだ。そしてこの集まりの中心には、主イエスがおられる。
 ここでもパウロは同じことばを繰り返す。「主にあって一致してください」(2節)。主にあってとは、自分の感情でさえも制御できない私たちが、主イエスの救いの力をいただくこと、主イエスとの人格的な交わりのうちに生きて、ということなのである。
 パウロが、二人の婦人の問題についてではなく、この二人の婦人のために、ピリピの教会の兄弟姉妹たちに、助けるように勧めていることに注目しよう。「ほんとうに、真の協力者よ」。直訳すれば「真実にくびきをともにする者」。福音宣教のための同労者は、このように「真実にくびきをともにする者」なのだ。福音のゆえの特権や喜びだけにあずかって、苦しいこと、いやなことが起こると、サッサと逃げて行ってしまうものではない。福音のために、どこまでも苦楽を共にする者になろう。教会の中には、ときとして「くびき」をともにしようとしない人がいる。二言目には「この教会には愛がない」だの、「この教会は冷たい」だのと言って、自分はその一員であるはずの教会からスルリと抜け出してしまって、教会を批判し、どこまでも「くびきを共に」しようとしないのだ。できあがったものを批判することは、だれにだってできる。野次馬クリスチャンになるまい。
 「いのちの書」には、あなたの名前だけではなく、兄弟姉妹たちの名前も書かれている。永遠の「いのちの書」にお互いの名前が記されているという特権を思うならば、この世の少しぐらいのことなど問題ではなくなる。
 主イエスにあって、神の国に国籍を持つものとして生きていくとき、私たちは福音のために、真の協力者となることができるのである。

2014年10月19日(第3主日)

『主にあってしっかりと立ち続けよう』

ピリピ人への手紙4章1節


 「私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。」 ああなんと心震わされることばだろう。これはパウロのお世辞でも、オーバーなことばでもない。彼の心底からの偽らざる、ほとばしり出たことばである。果たして多くの牧師といわれる人のうち何人がこう明確に言えるだろうか。パウロがピリピの兄弟姉妹たちのことをどれほど深く愛し、慕っていたか、牧会者たるものへの、奉仕の原点を教えるものである。ただひとえにイエスさまが託されたピリピの兄弟姉妹を主が心から愛しておられたがゆえに、パウロにとっても「私の喜び」と言い得たのである。ピリピの兄弟姉妹たちが福音に堅く立って歩んでいることのゆえに、無上の喜びをパウロに与えていたのである。使徒ヨハネもかく言う。「兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。」(Ⅲヨハネ1:3~4)
 パウロにとっては、ピリピの兄弟姉妹たちは大きな喜びの原因であり、誇るべき人々であった。しかしこれは、決してパウロとピリピの兄弟姉妹たちの私的な親密さ、人間的な関係によるものではない。福音による親密さである。パウロとの関わりの豊かさもあっただる。しかしそれ以上に、彼らピリピの兄弟姉妹が主イエスと固く結び合わされていたのである。「冠」は神さまが忠実なもの、勝利を得るものに与える誉れである。パウロにとって誉れである以上に、主イエスにとって大きな誉れであろう。
 「私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。」(Ⅱテサロニケ2:19)
 「そういうわけですから、……どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。」
 私たちクリスチャンが、何を頼りとし、何を基礎として自分の人生と、日々の生活を築いているか、パウロはそのことを「主にあって」と説明している。この「主にあって」ということばは、パウロの独特の表現。彼の手紙の中で40回以上も使われているのである。
 私たちが信仰によって、主イエスの救いにあずかり、生ける主との交わりに生きることをゆるされたとき、私たちは「主イエスにある」と呼ばれるのだ。主イエスのものとされたのだから、主にあって生きるのである。
 しかもパウロは、ピリピの兄弟姉妹たちに向かって、「このように」と言っている。「このように」とは彼がすぐ前の3章で述べていることである。クリスチャンであると自ら称している人々が、必ずしもすべて真実なクリスチャンであるとは限らず、なかには間違った教えを宣べ伝えたり、自分の欲望に生きたりして、十字架に敵して歩く者たちがいた。その人々の思いは、地上のことだけで腹の欲を満たすだけのものだった。国籍を天にいただくものは、天に宝を積んで生きるし、主イエスがやがてそこから来られるのを待望するのである。たしかに、信仰生活の基盤は、主にあって堅く立つところにあり、これなしに、キリスト信仰はありえないのだ。

2014年10月12日(第2主日)

『天国の国民の生活』

ピリピ人への手紙3章17~21節


 イスラエルの民の歴史は背信の連続であった。神の契約の愛(ヘセド)に応えることができず、幾度も裏切り、神を悲しませた。しかし神はそれでもイスラエルを愛し続けた。ここに神の愛(ヘセド)がある。イスラエルのなすべきこと、それは目指すべき目標から目を離さないことであり、神の愛に感謝し礼拝をささげることである。地上にある栄誉、名声、富などに心奪われることなく、神の国の栄光、復活のいのち、永遠のいのちを求めてやまない歩みをしよう。
 私たちの歩みは、日曜日のたびごとにここに集い、自分たちの目あて・目標を指し示され、そこに向かって新しい一週を歩み出していくことの連続の中にある。一休宗純がかつて「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と歌ったが、私たちクリスチャンにとっては、「日曜日 神の国への 一里塚 めでたくもあり 楽しくもあり」である。日曜日から日曜日へ、主の日の礼拝から、主の日の礼拝へ。それが私たちの神の国への一足一足の歩みである。この一里塚を見失っては、どこに向かって歩んでいるのか、私たちはたちどころに忘れてしまうことになるのだ。
 その歩みの中で、モデルとなる人がいれば、その歩みはもっとわかりやすものとなる。もちろんその究極的なモデルは、主イエス・キリストである。しかし、私たちの手前に主イエスを指し示すモデル、モデルのモデルと、小さなモデルがあって良い。それが私たちなのである。
 パウロは「私を見ならう者になってください」と言う。私をモデルにしなさいと言うのである。この一言は、なかなか言えないことばであろう。私たちの中の誰か、胸を張って言える人がいるだろうか。「見ならう」とはどういうことなのか。自分のキリスト者としての徳、人格に見ならえ、愛に満ち、人に優しく、献身的に仕える、そういう姿を人に見せることならば、私たちの誰一人としてそれに見合うものはいない。
 パウロは自分がキリスト者として完全であるなどとは、少しも思っていない。にもかかわらず「私を見ならう者になってください。」と言う。それは、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、全力を注いで走っている。その姿に見ならって欲しいと言っているのだ。パウロ自身は、自分の欠けというものを良く知っていた。完全な方は、主イエスしかおられないということも十分承知していた。その上でパウロはあえて、私を見ならえと言うのである。自分はキリストの十字架によって罪赦され、新しく生きる者とされた。ただキリストだけを誇り、ただキリストだけを頼る者とされた。その私を見て、そのキリストの恵みの中に生かされている私に見ならって欲しいと言っているのである。
 イエス・キリストが再び来られるのを、私たちは待っている。その時、私たちのこの貧しく、弱く、汚れた身体が、イエス・キリストの復活の身体と同じ体に変えられることを信じるものである。その日を待ちつつ、その日に向かって走っているのである。そんな私たちを見ならってほしいと、私たちも言えるのではないだろうか。イエス・キリストの十字架の恩寵に寄り頼んで生きているならば、目指すべき目標を見失うことはない。
 神の国への一足一足を、しっかりと踏みしめながら歩んでいこう。

2014年10月05日(第1主日)

あかし 『私の信仰への道』 (7)

キリスト教とは全く無縁の家庭と環境の中で育った私にとって、クリスチャンとしての生活は初めての経験ばかりであった。毎朝仏壇の前に座り、ご先祖様に手を合わせる生活から、毎日聖書を読む生活が始まった。すでに書いたように、私のクリスチャンとしての生活は激しい闘いの連続であったが、聖書は大きな力を与えてくれるものとなった。イエス・キリストとの出会いによって、私は救われ、新しく生まれ変わった。クリスチャンとしての船出は順風満帆、好調に進むものではなかったが、人生という大海に、聖書は大きな舵取りとなり、羅針盤のようなものとなった。
 ただ聖書を読み始めた私はすぐに挫折し、暗礁に乗り上げてしまった。新約聖書を読み始めた私は、その最初の1ページから躓いてしまったのである。そこにはカタカナの名前が延々と列記されている。聖書はややこしい書物だなと放り出してしまったのだ。これはやはり欧米の書物で日本人には似合わないと決めつけてしまうのだった。そんなとき私を信仰に導いてくださったY先生からアドバイスを受けることができ、聖書を読みやすいところから読み始めよというのだ。マルコによる福音書から読み始めると、なんと初心者の私でも読めるではないか。うれしくなった私は聖書を一晩かかって一気に読み終えた。白々と明けゆく窓の外を眺めながら、不思議な達成感と感動がわき上がってきたのである。
 とはいえ、聖書は古書中の古書には違いない、聖書の書かれた時代も当時の人々の生活がどのようなものであるかも全く知らない私には、理解できない箇所もたくさんあった。Y先生からは、理解出来ないところは飛ばして読み進めていくように指導された。また私の質問にもていねいに応えてくださり、聖書を解説してくれたことも、難解とも思える聖書を読み進める上で大きな後押しとなった。そればかりか、むしろ聖書をもっと本格的に学びたいという思いが強くなっていった。
 私はハイビーエー(High-school born againers)という、戦後いち早く米国の宣教師によって始められた高校生を対象に伝道と訓練を与える集会で、キリスト信仰に導かれたのであるが、Y先生は私が集っていた集会の指導者であった。この先生との出会いが、私に聖書と真剣に向き合う機会を与え、聖書を生涯のかけがいのない大きな宝とさせていただいたのである。強情で独りよがりな私を辛抱強く導いてくださったのである。その方法はいつも聖書を読むときには、先入観をもって読み、自己流に解釈してはならない、というものだった。聖書を読むと同時に、聖書に関する書物もたくさん紹介してもらった。それらのどれもが助けとなったばかりか、私の人生が何を目標とし、目的とすべきかを導くものとなった。数多くの書物を読みあさったが、聖書そのものを読むことによって得られるものには勝らなかった。聖書そのものが私の人生の大きな指針を与えてくれたのである。
 高校生時代に教えられたことに、聖書のことばを暗記し、暗唱することがあった。毎週ひとつのフレーズを暗記した。自分でも驚くほど英語の単語を暗記するよりも楽しく、150のことばを覚え、高校卒業時にはそれを皆の前に立って発表したことは忘れられない卒業記念となった。
 もうひとつ教えられたことに、聖書を毎日少しずつ読むという習慣である。当時の合い言葉に「No Bible No Breakfast」「聖書を読まずして朝食はなし」があった。聖書は私たちの霊の糧であること。これはその後五〇年間にわたる私の信仰人生において今も変わらない習慣となっている。
 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。(詩篇119篇105節)