2014年8月分(五篇)

目次に戻る

2014年8月31日(第5主日)

『 主にあって喜びなさい 』


ピリピ人への手紙3章1節

 短いことばだが、なんと力強いことばだろう。「喜びなさい」、使徒パウロはこの書簡で16回も繰り返して勧めている。「前と同じことを書く」と言っていることからも、彼がいかに強く勧めているかがわかる。「最後に」とは、普通書簡の末尾にくるものだが、4章8節で述べていることからも、この「最後」はむしろここからパウロが書き記したもののうちでも、最も基礎的で力強い段落がはじまる。「前と同じことを書く」とは同じ繰り返しではない、すべてはここに至り、すべてはここから始まるのだ。「私には煩わしいことではない」。人は何度も繰り返して同じことを聞くことに煩わしさを感じる。「パウロよ、もう結構だ。十分聞いたことばである」と言うだろう、しかし本当に私たちはわかっているのだろうか?
 「あなたがたの安全のためにもなること」とは何を意味するのだろう。注意深く探ってみれば、私たちにはその安全が確保されていないということなのだ。いともたやすく私たちは「喜び」を忘れ、つぶやきに走る弱さをもっているのではないか。安全であるためには、私たちは繰り返して同じことを聞かなければならない。
 すぐれた教師がすることは繰り返し。パウロもまた恐れることなく、繰り返して教えている。私たちはいつも目新しさを欲する。しかし、聖書のすぐれた救いの真理はたったひとつで、不変なのである。私たちはこのすぐれて豊かな真理を、繰り返して受け入れなければならない。繰り返して語り、繰り返して傾聴する。ここにこそゆるぎなき信仰の安全な道がある。
 「主にあって」とは、「キリストのうちに」喜びの源泉があることを教えている。主イエスを離れては真の喜びはない。
 「この人は本当に喜びに輝いている」ということばは最高の賛辞だろう。それは自分の力で意図的に作り出しせるものではない。「主にあって」なのだ。そこで、この短いことばから第一に、喜びは見いだし、探し出すものであることを学ぼう。私たちの日々の生活、私たちの身の回りから、あるいは、あなたが頭を悩ましているだろうさまざまな問題の中から、見つけ出そうではないか。不満、不安の種は尽きることはない。しかし「主イエスにあって」こそ、「喜び」は見いだすことができる。
 第二に、喜びを生み出すことをしよう。あなたの喜ぶ姿を周りの人々が見ることができたら、なんとすばらしいことだろう。子どもを生み出すのには、大きな苦しみや痛みを避けて通ることはできない。あなたにとって困難な道であっても、喜びを生み出すことができる。「主にあって」なら。
 第三に、「喜び」は分かち合ってこそ、本物になるのだ。ひとりほくそ笑んでいてはならない。喜びは誰かに伝えたいという衝動を抑えることができないのだ。パウロのうちにあった「喜び」は彼の置かれた投獄生活あっても、枯れることはなかった。むしろかえって神をほめたたえ、賛美したのである。それゆえ、獄吏が救われ、ピリピの教会も生まれた。
 「私たちの神の御前にあって、あなたがたのことで喜んでいる私たちのこのすべての喜びのために、神にどんな感謝をささげたらよいでしょう。」(Ⅰテサロニケ3:9)
 「主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」(エペソ5:10)

2014年8月24日(第4主日)

『私の兄弟、同労者、戦友エパフロデト』

ピリピ人への手紙2章25~30節

 「私の兄弟、同労者、戦友」。なんというすばらしい称号であろう。彼の名は「ハンサムで、魅力的な」という意味である。しかし彼の働きはそれ以上のものだった。ピリピ教会は、彼らの愛のささげものをパウロのもとに届けるにあたってエパフロデトを選び、彼に託した。そしてローマに置いては獄中にあるパウロにテモテと共に仕えていたのである。
 ところが彼はこのローマで病にかかり、死ぬほどの苦しみをした。26節には、彼が病気になり、それがピリピの教会の人々に知られたことを心苦しく思っていたようである。それは、私たちにも良くわかる。せっかくピリピの教会の人々からパウロを支えるようにと送り出されたのに、病気になってしまって、少しもパウロの役に立たない。パウロを支えるどころか足手まといになっている。自分は役立たずだ。そう思って、落ち込んだのかもしれない。自分を送り出してくれたピリピの教会の人々に会わす顔がないと思ったのではないだろうか。病気というものは、しばしば、その人の心まで暗く、重くしてしまうものである。
 パウロが彼のことについて「彼は、あなたがたすべてを慕い求めており」と言っているが、これは彼がいかに愛の人であったかということをよく表現していることばである。所は離れていても、彼の心にはいつもピリピの兄弟姉妹たちのことがあった。彼はパウロと同じ心と思いをもってイエスさまに仕えていた。そんなエパフロデトを「私の兄弟、同労者、戦友」と呼び、彼を心から受け入れてくれるように手紙を託したのである。当然ピリピの教会も彼を心から尊敬し、受け入れ、その病のために最善の手当をしたことであろう。
 私たちもまた「兄弟姉妹」と呼び合う深い絆を大切にしている。十字架の血潮によって罪赦され、同じ一つの神のみ前に子とされている。やくざが親分子分の盆を交わすのとは違う。兄のように慕い、弟のように仕え合う絆である。「同労者」なんというすばらしい呼び名であろう。そこには上下関係の隔たりは微塵も感じられない。その上「戦友」とは。共に一つの目的のために、志を同じくして戦う友として喜びも悲しみも分かち合うのだ。なんと誇らしく、喜びにあふれた絆、それがキリストの教会である。
 人は身近な関係にあると、その人を正しく評価し、受け入れることが難しいときがある。時には個人的な利害関係がそれを阻む。ハンサムとか魅力的なという外見ではなく、もっと高い観点から人を正しく評価することが求められる。その評価の基準は神への愛であり、いかにイエスさまに仕えて生きているかである。エパフロデトはその意味で、いのちがけでキリストと教会に奉仕していた人なのである。
 私たちひとりひとりは、自分の身の回りにおいてイエスさまをあかしし、伝道する。そしてさらに高い次元、広い働き場のことを考え、そこで働いている伝道者の働きを、献金や祈りなどによって、積極的に、具体的に助けることによって、その働きに参加していこう。
 伝道者ならずとも、私たちもまたいのちがけでイエスさまに仕え、真剣な奉仕をささげよう。隣人に仕えて生きよう。私たちの信仰は、神との縦の関係と、人との横の関係が一致したとき、真に生きたものとなるのだ。

2014年8月17日(第3主日)

『共に福音に奉仕するテモテの働き』

ピリピ人への手紙2章19~24節

 ローマの獄中にあるパウロにとって、信頼できる弟子が二人いた。ひとりはローマに滞在して、パウロの身の回りの世話をしてくれた愛弟子テモテ。もうひとりは、ピリピ教会からの援助金を携えてローマに派遣されてきたエパフロデト。彼らは使徒パウロの良きパートナーであった。
 私たちの信仰生活にはパートナーが必要である。主イエスは弟子たちを宣教に遣わすにあたって二人ずつお選びになられた。なぜだろうか。当時危険の多い旅にあっては基本的にひとりで行くことはなかった。しかしそれが理由ではない。伝道においては、神から与えられた賜物を用い、しかも異なった賜物が互いに補い助け合うことによって、大いなる働きを為すことができる。人と人との関わりにおいて、語ることばと行動には調和が必要である。だから二人の関係は神の愛を具体的に現す良きあかしとなるのだ。ここに教会の本質がある。パウロの行き先々には小さな教会が生まれていったのである。私たちの語ることばと生活の間には調和が求められる。独りよがりな信仰は危ういし、神の働きにはかえって障害となることさえある。私たちには、信仰生活において良きパートナーが必要である。そして良きパートナーは神の麗しい愛をあかしすることができるのだ。
 テモテ、彼の信仰は祖母、母から受け継がれてきたもの。パウロの伝道旅行において欠くことのできない重要な働き手となった。パウロのテモテに宛てた手紙の中には、いかにパウロがテモテを愛し、信頼していたかがわかる。彼らの間は親と子ほどの年齢差があった。しかしパウロはテモテを軽んじることはなかった。それは彼がパウロと同じように教会を愛し、人に仕えることを知っていたからである。今日の箇所にはそうしたパウロの心情が読み取れる。「親身になって」(口語訳、新共同訳)は、文字通り我がことのように心を砕くことである。そこには下心など微塵もない。ただキリストが私たちのためにひたすら愛を注ぎ、仕えておられるように、テモテのように、私たちもキリストの道具にさせていただくことができる。
 テモテのすばらしさは第一に、テモテが子のようにして仕えることにおいて、福音宣教にかかわったこと。人は主役になるより脇役であることの難しさを知っている。彼は脇役に徹した。自分自身のことを求めているだけの人には決してできないこと。また積極的に主イエスのみこころを求めて生きようとする人の生き方である。第二に、真実に人を心配することができた。生まれながらの利己的な人間にはこれができない。これこそキリストの教えられた愛なのだ。愛は無関心と真逆なもの。しかしおせっかいではない。主イエスが教えられたように、友を自分を愛するように愛し仕えることである。
 私たちの教会にこのようなパートナーシップがいくつも生まれるなら、教会はより麗しいものとなり、この世に向かってすばらしいあかしとなるだろう。
 テモテのこのような生き方は、人に仕えることを通して神さまに仕えることができることを私たちに教えてくれる。目に見える人に仕えることができないで、どうして目に見えない神さまに仕えることができるだろう。私たちもテモテのように生きよう。キリストの愛に生きようではないか。

2014年8月10日(第2主日)

『喜びの礼拝をささげよう』

ピリピ人への手紙2章12~18節


 ここにはパウロの覚悟が読み取れる。「たとい私が・・・注ぎの供え物となっても」。彼を待ち受けているものが何であるかを彼は知っている。だがこの「たとい」には深い意味がある。パウロはダマスコ途上で復活の主に出会い、劇的な回心をした。そのときから彼はこのお方のために生きることを決心した。そしてそれは主のために死ぬことでもあったのである。
 私たちの教会はこうした先人の流した尊い血潮と献身の上に、その歴史を刻んできたのである。「たとい・・」なんと重いことばだろう。
 しかしそこには悲壮感はない。「共に喜ぶ」教会の姿があるのだ。「私といっしょに喜んでください。」とパウロは勧める。
 自らを神に献げきって生きたパウロは、人生における最高の喜びを知っていた。「献身」それはパウロや伝道者、牧師たちの世界のことではない。すべてのキリスト者に神が求めておられることだ。私たちの献身、それは私たちの礼拝にある真の姿である。私たちは週ごとに、あるいは日々のささげる礼拝において、献身しているのである。
 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。(ロマ12:1)
 喜びに満ちた礼拝はあっても、悲壮感に支配された礼拝などはない。教会は喜びを共有できるところである。なぜならそこにおいて、ただおひとりの神、イエス・キリストを見上げるからである。私たちは礼拝のたびごとに、主イエスのみわざが告げられ、私たちはあの十字架の主イエスの御前に立たされるのだ。そして、あの主イエスの流された尊い血潮と裂かれたお身体にお応えしようとすれば、私たちには自らを献げるという以外に応えようがないではないか。ここに真の礼拝があるのだ。
 私たちは主イエスのことばを思い起こそう。エルサレム入場のとき、主は弟子二人を遣わしてロバを求められた。そのとき、ただ「主がお入り用なのです」とだけ言え、と命じられた。本当に小さなことばであるが、これが2千年にわたる教会の歴史の中で、いつも鳴り響いている。もし私たちがこのことばを前にしたとき、ただただ「主よ、用いたまえ」と我が身を差し出すしかないのである。これが献身であり、礼拝の本質である。
 もう一度言おう。献身とは、主イエスが私たちのためになして下さった、あの十字架のみわざに感謝し、その恵みに応えるためになされる私たちの喜びのわざなのである。
 そしてそれは美しい。なぜならキリストの御姿を写し出すからだ。献身(礼拝)というあり方においてしか、私たちはキリストの美しさを伝えることは出来ないのではないだろうか。そしてキリストの福音は、その福音の恵みに生きる者が、献身する姿によってしか伝わらないのである。
 主イエスは私たちに献身を求めておられる。喜びと感謝にあふれる礼拝にこそ献身の姿があるのだから、「主がお入り用なのです」とのことばに、私たちもこう応えて生きようではないか。「主よ、用いたまえ」と。

2014年8月03日(第1主日)

あかし 『私の信仰への道』 (5)

 高校一年生のとき、イエスさまを信じてクリスチャンになった私は、そのことを誰か他の人に語り、イエスさまの救いのすばらしさを伝えたかった。伝道の情熱というよりも純粋・単純に自分の中にある喜びを伝えたかったのだと思う。すでに書いたように私の父は熱心な仏教徒で、家の営みのすべてが仏教の教えと習慣の中にあったので、クリスチャンを表明した私への風当たりは相当なものだった。けれども元来意地っ張りな私は、信仰の道に脇目もふらずに進んでいった。
 自分の中にある思いを誰かに伝えたかった。けれども家のものは誰も耳を傾けてはくれなかった。何か失態をしたり、父とのやりとりで悔しさに涙を流すこともしばしばであった。そんなときいつも父や兄弟はこう言うのだ。「お前はクリスチャンのくせに」。「さすがクリスチャン!」と言われることはないのに、不都合なことがあるときにはいつも冷たいことばを浴びせかけられた。これは辛いことだった。もちろん信仰を持ってからの私は今まで以上に勉強をし、クラブ活動(水泳)に、そして家の手伝いにと努力した。けれども評価され、ほめられることはなかった。「クリスチャンらしく」生きることは困難だった。
 私の通った学校は中高一貫の私立校で、しかも仏教を背景にした教育をするのだった。授業の始めに机の上に座って禅を組まされるのである。校長はもとより教頭も坊さんである。クリスチャンになった私はすぐに「聖書研究同好会」なるものを結成し申請した。なんと部活としては許可されなかったが、同好会としては不思議なことに許可がでたのである。校門の前にたってトラクト(キリスト教のチラシ)を配布したり、文化祭には他校のクリスチャン高校生に手伝ってもらい、教室をキリスト教PR会場にさせてもらった。興味を持つものもいたが、それで目に見える効果があったわけではなかった。
 一計を案じ、この学校でキリスト教を伝える方法を見つけた。私は生徒会長に立候補したのだ。立ち会い演説会を講堂で行うことになり、これを絶好の機会ととらえ、意気盛んに準備に励んだ。当日、講堂には全校生徒が集まった。演壇に立った私は、開口一番「私はクリスチャンです」、そして自分が救われるに至った経緯を話し出したのだ。だがしかし、会場は騒然とし、ブーンィングの嵐と「帰れ! 帰れ!」とのコールの中、演壇を引きずり下ろされた。もろくも私の試みは中途で挫折してしまったのだ。しかしどういうわけか副会長に当選してしまったことには驚かされた。
 あかし(自分がクリスチャンであることを話す)には見事に失敗だった。声高だかに聖書を叫んでも、自分がそのように生きていなければ説得力はなかったのである。「それでもクリスチャン?」という冷たいことばがそれを物語っていた。
 しかしあるとき、ひとりの伝道者がこう教えてくれた。他人が「それでもクリスチャン?」「クリスチャンのくせに・・」と言われたときは、それをかえって喜びと感謝で受け止めよというのである。このアドバイスには目が開かれた思いだった。なぜならこれらのことばは、私をクリスチャンであるという前提にしているというのだ。考え方一つでどうにでも状況は変わるものだ。実にすばらしい助言だっただけでなく、自分の信仰に誇りをもつこともできた。それからは父や友人から言われるたびに、笑顔でこう答える余裕さえも与えられた。「そうなんです。僕は不完全で失敗ばかりする人間です。だからイエスさまの救いが必要だったのです。」。それからは私に「それでも? ・・・くせに」と言う人も少なくなった。
 信仰生活において、非難されたり攻撃されたりするときのすべを私は高校生時代に学んだことは、将来伝道者になったときにも、大きな力となったことはいうまでもない。
 完全なクリスチャンはいない。だから成長が必要なのである。「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリ12:9)