2014年5月分(四篇)

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2014年5月25日(第4主日)

『かえって福音を前進させる』

ピリピ人への手紙1章12~14節
(今日の説教から)

 「かえって」。なんと不思議なことばだろう。私たちの予想に反して事が進む。昔から「災いを転じて福となす」とあるが、これとはちょっと違う。私たちが災難にあってもこれをうまく活用して、しあわせになるようにするのではない。聖書には驚くほどこの「かえって」がある。(79回も)。人間のいかなる努力も遠く及ばない神さまのわざがここにはある。
 パウロは今暗くジメジメした牢獄に囚われの身である。その彼が喜びの声をあげる。なぜだろう。これは人間わざではない。信仰のわざなのだ。それもパウロをして言わしめた神の凱歌、すべてのことを逆転なさしむる神さまへの讃歌なのだ。
 私たちが災いに遭うとき、自分の知恵や力で事を解決しようと徒労な努力をする。信仰者としての歩みをするよりも、生まれながらの自分が顔を出してしまう。
 人間の目には決して良いとは見えないことでも、神さまは、みこころにかなって歩み、前進している者のために、それを役立たせてくださる。運命などというようなものに支配されているのではなく、神さまがこの世界のすべてのものの支配者である。
 パウロは牢獄につながれているという状況の中でも、なぜ喜ぶことが出来たのか、喜んでいるのか。
 ①自分が入れられている牢獄のあった兵営にまでイエスさまのことが伝わったということ。牢獄に入らなければ、決してイエスさまに触れることのなかった人にイエスさまが伝わった。このことを心から喜んでいる。
 パウロは自分の身の上に起こった困難と災いの経験の中でも、自分の歩みのすべてが神さまのご計画によるものであることを信じた。そして、自分の置かれている状況の中でも、神さまのみこころを祈り求め、この災いの真の意義を悟ることができたのだ。
 私たちが生活している所は、牢獄ではない。しかし、あなたが自分が望もうと望むまいと、キリスト者の代表のように見られている。私たちはこのことを喜びとし、誇りとしたいと思う。私と出会うことによって、この人あの人にイエスさまが伝えられている。この事実を喜ぼう。私たちはイエスさまの恵みを運びながら生かされているのだ。
 ②パウロは牢獄につながれたことによって、かえって他のキリスト者が勇敢に福音を伝えるようになったことを喜んでいる。パウロの姿が、人々を励まし、勇気づけた。
 私たちの信仰はいつも生き生きと元気であるとは限らない。意気消沈し、不安に襲われ、弱いときもある。そういうときに、傍らに喜びに満ちたクリスチャンがいる。その存在によって励まされ、再び歩き始めるということがあるのではないか。教会の交わりとはそういうものなのである。
 私たちは、もっと自分にこんな力があれば、神さまのご栄光を表すことが出来るのにと思うかもしれない。しかし、そうではない。神さまは、この欠けに満ちた私を用いられる。それが神さまの知恵なのだ。
 私たちは私たちの弱さをも用いられる神さまの愛と力とを知らされたものだ。だから人が自分をどう見るかではなくて、あるいは、自分の身の上に起きた不幸を数え上げるのではなくて、この弱い私をも用いてなされている神さまの救いのみわざ、福音の前進に目を注ごうではないか。福音の前進のために用いられていない人など一人もいないのだから・・・。もっと力があれば、もっと能力があればではない。この貧しい器こそ、神の栄光を現していくのに、ふさわしいのだと知ろう。
 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(Ⅱコリント12:10)


2014年5月18日(第3主日)

『愛がいよいよ豊かになりますように』

ピリピ人への手紙1章9~11節
(今日の説教から)

 パウロはピリピの教会の人々を愛し、この人々のために毎日、祈っている。明らかに愛が祈りの原点になっているのだ。愛は祈りを生む。祈りは愛を清め、高めるのだ。
 ① 終末を見すえて祈る。私たちが愛する人のために祈る時、健康が支えられるように、あるいは今直面している困難が取り除かれるように、平安が与えられるように、そのような祈りをしている。私たちの目が、あまりにも目に見える所にばかり向けられ、求めてはいないか。祈りとは終末的な救いを求めることだ。やがて神さまのみ前に立って、自分が歩んできたことのすべてが明らかにされる。その時、私たちはイエスさまの赦しの恵みに与り、救われる。そして、共々に永遠の命を受けて、神の栄光をほめたたえる者として、神さまの御前に立つ。このことこそ、私たちの希望であり、祈りである。だから私たちはまず何よりも愛する人の救いを求めて祈ろう。
 ② 愛が豊かになるように祈ろう。生活が豊かにでもなければ、健康が豊かにでもない。愛が豊かになるようにだ。愛することにおいて豊かな人となるように。これは私たちの切なる願いだ。そこにこそ本当の幸いがあることを知っているからだ。
 ここで注目すべきことは、パウロは愛が豊かになるということと、知識・感性というものとを結びつけていること。パウロは愛において豊かになるために、深い知識とするどい感覚が必要だと考えていた。愛は、単なる感情ではない。相手が何を考え、何を求め、何で悩んでいるのか、そういうことを察していく感性が必要なのだ。そして知識だ。
 夫婦の関係というものは、実に不思議なもの。何万、何十万という人の中から、まったく生まれも育ちも性格も違う二人が出会い、生涯を共にする者となる。結婚する時にはお互いが好きだということはあっただろう。けれど、結婚してもそのような思いが続くわけではない。つまり、「好きだ」という情だけで結ばれていたのではやっていけないのが、夫婦。そういう中で、「神さまが私たちを選んで結ばせて下さった」という知識、これは愛を豊かにしていくために、とても大きな力を与えるものなのである。
 親子にしても、互いに神さまが与えてくださった子であり、親であることを知る中で、互いに気遣い合うという成熟した関係へと導かれていくのではないだろうか。
 私たちがこのような信仰の知識を増し加えることは、神を愛し、人を愛することにおいて、いよいよ豊かになっていくためには必要不可欠である。
 私たちには欠けがある。何よりも愛において欠けがある。そのことを互いに知り、それゆえに、愛が増し加えられるようにと祈り合う。そこに生まれるのが、いのちの泉聖書教会という交わりなのだ。神さまは私たちを愛してくださっている。だから、私も精一杯、愛していきたい。そういう願いの中で形造られていく交わり。それは、イエス・キリストの十字架に対しての深い知識とするどい感覚によってもたらされるものなのである。
 ③ 真にすぐれたものを見分けることができるように。何が大切なことで、何が大切でないのか。見誤らないようにしよう。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイ6章33節)。
 私たちが一番大切なこととして、第一に願い求めるべきことは神の国と神の義だ。この順番を間違ってはいけない。私たちが生きていく上で、正しく優先順位を付けることが出来る判断力を求めると言っても良い。私たちに最も必要なことは、神さまを信頼してすべてをお委ねしていくということなである。
 私たちの目は、いつも、主が来られる日の一点に向けられていなければならない。、その日に向かっての一日一日の歩みなのだから。


2014年5月11日(第2主日)

あかし 『私の信仰への道』(2)


いのちの泉 あの日、私は家への道々、心の中には複雑な思いが交錯していた。イエスさまを我が救い主と信じ受け入れ、告白し、救われたという喜びと、さてこれからどうなるだろうという不安が複雑に絡み合って、降りるべき駅を間違えるほど混乱していた。
 代々熱心な仏教の家に生まれ育った私の家は、朝には仏壇の前に正座し、読経とご先祖様への礼拝から一日は始まるのだ。父は神殿仏閣の建築をし、多くの祭りごとを仕切る町内会長としてもよく知られた有名人でもあった。そんな父が私がクリスチャンになったことを許してくれるだろうか・・・。いや許してくれるはずがない、さてこれからどうしよう。あれやこれやと思い倦ねていた。
 そして私は考え抜いた結果、ひとつの結論に達した。「そうだ隠れクリスチャンになろう」と。自分がクリスチャンになったことを両親には話さないでおこう。これからは真面目になって、朝もちゃんと起き、家の手伝いもし、勉強もしっかりして「よい子」になろうと。やがて変わった自分を見た父が「お前は最近変わったな」とほめられたときに、「実は僕はクリスチャンになったんです」と言おう。そうしよう。そうしよう。
 玄関先でもう一度心を整理し、「ただいま」と声を発するまでもなく、なんと目の前に父が立っているではないか。「今までどこに行っていたのだ」と問う父、私はその場を凌ぐ言い訳を考えたのだが、なんと驚くことに自分の口から出たことばは、「お父さん、今日僕はクリスチャンになりました」だった。みるみるうちに父の顔は激変し、激高した父は玄関を駆け下りるやいなや、横面をしたたか殴りつけた。父は「青木の家は代々由緒ある門徒で、仏教の家だ。お前はよく知っているだろう。耶蘇などとんでもない」と、生まれて初めて手にした聖書をビリビリに目の前で破り捨ててこう言った。「二度とそんなところに行ってはならない」。それからというもの、父は私宛てに来る手紙はすべて中身を検閲し、教会からのものは皆破り捨ててしまった。それが私の信仰生活の第一日目であった。
 そればかりか、その日以来、毎朝の「お勤め」を拒否する私を一層厳しく責め立てて、仏前に手を合わせることを強要していくのだった。元来意地っ張りな性格であった私は、前回書いたこともあって、かえって父に反抗し、朝食を食べさせてもらえない日も続いた。けれども、悲壮感はなかった。父が反対すれば反対するほどかえってクリスチャンとして生きていこうと思うのだった。母はそんな私に涙を流し懇願した、さすがに母の涙には心を動かされたが、私の心は変わることはなかった。父の私の信仰の道への風当たりは日を追うごとに厳しく、激しくなっていくのだった。
 そんな私を支えてくれたものは、聖書のことばだった。そして同じクリスチャンの仲間たちであった。それがなかったら今日の私はなかったことだろう。当時、私を支え力づけてくれた聖書のことばである。
 「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」(ピリピ1:29)
 「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」(同2:5文語訳)。かの日、自らの手でこう書き記した聖書は、私の大切な宝となって今もある。


2014年5月4日(第1主日)

あかし 『私の信仰への道』(1)


いのちの泉 東京の下町に生まれ育った明るい子どもだったがへそ曲がりの性格もあって、よく父に頭を叩かれた。五人兄弟の三番目、上に姉と兄、次男坊だった私は また独立心の強い子どもだった、というより「になった」という方がよいだろう。
 比較的裕福な家庭に育った私は何の苦労もしなかった。ただ厳格な父親は星飛雄馬の父のごとく、家庭では怒ると暴力をふるいテーブルをひっくり返すような怖い存在だった。
 そんな父も上の二人には特別に甘く、外出時にはいつも父は片手に姉を、もう一方には兄の手を引いて歩く。当然私はといえば、そのあとを追うようにしてついて行くのだった。小学校は都電で一時間半の道を六年間続けた。姉兄は地元の学校、なぜ自分だけがこんなに遠い学校へ?との疑問はぬぐえなかった。当然小学校では特別に親しい友は出来なかった。よみがえってくる楽しい想い出がないのだ。あとで聞き知ったことなのだが、父は私を名門と呼ばれる学校に越境入学させたのだ(理由は後に判明)。しかし父の期待とは裏腹に、いつしか粗暴な子どもに変貌していった。ケンカは日常茶飯事、よく校長室の前の廊下に立たされた。その記憶ばかりが鮮明に残る。
 我が家には古びた蔵があった。薄暗い蔵には子どもにとっては「お宝」があふれていた。ひとり蔵に籠もっていろいろと漁るのが好きだった。特に戦後父が持ち帰ったものはどれもが子ども心を大いに刺激した。古いアルバムには白い馬に軍刀、従者をしたがえ、軍人髭をたくわえた父の勇姿はあこがれの的であった。自分も将来は父のようになりたと思ったことだ。
 しかしそんな私のうちにある時から大きな変化が起こった。興味半分恐れ半分で眺めていた写真の中にはここで口にするのもおぞましい写真が何枚もあった。それがいつしか父へのあこがれから恐怖へと変わらせていったのである。そして確実に私の心はねじ曲がっていった。父への尊敬が軽蔑の心へと。それからの私は父への反感から父の嫌うことをし、ある時には補導された私を父が警察署にもらい受けるようなこともした。家に帰ってしたたか殴られても反省の心など微塵ももつことはなかった。
 そんな反抗ばかりする私を父はことさらに厳しく処し、私はますます父の心から離れてしまうのだった。あのとき少なくとも、私は父のような人生を送りたくない、父を愛すること、許すことができなかったのだ。(父の死後、母から聞かされたことだが、父も戦争犯罪人ではなく、被害者であったのかもしれなかった、と。父は生涯大きな負い目の中で苦しんでいたそうだ)。小学校高学年のことだった。
 高校生になって秋、ひとりの先輩がキリスト教の集まりに連れていってくれた。ハイビーエーというクリスチャン高校生の集まりだった。生まれて初めて聖書なるものを手にし、話も聞いた。ここには何か自分にはないものがあると感じた新鮮な出会いだった。
 そして忘れもしない転機が訪れた。ひとりの伝道者と個人的に話す機会が与えられ、彼は諄々と聖書の中から人生の目的、愛について、許すことについて説き明かしてくれた。私の心は打ち震えた。イエス・キリストのご生涯が、あの十字架の苦しみが私のためなのだったのだ、と。導かれるままに悔い改めの祈りとともに、キリストを我が心に迎え入れたのである。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)。これが私の人生を一八〇度変えた聖書のことばである。
 1964年9月21日(月)。この日が私の回心、新しい人生の出発の日となった。(続く)